大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成11年(う)291号 判決 1999年6月09日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野嶋真人作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、法令適用の誤りの主張である。すなわち、質権設定者である被告人が質権の目的物である本件株券を質権者である千代田生命保険相互会社(以下、「千代田生命」という。)に交付して同社が第三者対抗要件を取得した後には、被告人は他人に帰属する財産を形式的にも処分しうる地位にはなく、同社のための事務処理者ではないから、被告人に背任罪は成立しないというのである。

本件は、電機器具部品等の製造販売を業とする株式会社甲野製作所の財テク部門を担当する資産運用会社である乙山株式会社の代表取締役である被告人が、同社と千代田生命との間で締結した極度額三億円の根担保質権設定契約に基づき二回にわたって受領した合計一億一八〇〇万円の融資の担保として千代田生命に入質交付したいずれも株券である富士通株式会社発行の千株券一二枚、トヨタ自動車株式会社発行の千株券二三枚及び株式会社日立製作所発行の千株券一〇枚について、乙山株式会社の利益を図る目的でそれぞれ紛失した旨の虚偽の理由による除権判決の各申立てをして右各株券を失効させて千代田生命の各質権を喪失させて、同社に当該株式の時価総額合計八一九三万八〇〇〇円相当の財産上の損害を加えたという事案である。

原判決は、被告人は、右根担保質権設定契約に基づき融資の返済がされるまでの間質権者である千代田生命のため、質権設定者として、その質権を実効あらしめるため右株式を担保として確保すべき任務を有していたのに、その任務に違背して前記のように除権判決を得て株券を失効させ、質権を喪失させて千代田生命に財産上の損害を加えたものであり、被告人の当該行為は背任罪に該当するとしたのである。

そこで検討するに、株式質権の設定者は、質権の目的である株券を質権者に交付し、質権者に第三者に対する対抗要件を具備させた後であっても、当該株券を質権者のために保全すべき任務、すなわち、株券について除権判決を得て失効させて、質権者の質権を消滅させてはならない任務を負うのであり、かつ、この任務は、自己のためのものではなく、もっぱら他人である質権者のためのものであるから、株式の質権設定者は、「他人のためにその事務を処理する者」に該当するといわなければならない。

所論引用の二重抵当について背任罪の成立を認めた最高裁判例(最判昭和三一年一二月七日刑集一〇巻一二号一五九二頁)が、「抵当権設定者はその登記に関し、これを完了するまでは、抵当権者に協力する任務を有することはいうまでもない」と判示しているのは、抵当権設定者が当該登記に必要な書類を抵当権者に交付した後でも、抵当権者において未だ登記を完了していない場合には、登記に関して抵当権者に協力する任務があるという趣旨であり、本件のように、質権者に当該株券を交付した後の質権設定者の保全任務については直接判示するものではない。

従って右判例を根拠に、所論の如く質権を含め担保物権者に第三者に対する対抗要件を具備させた後は、担保物権設定者には背任罪に問われるべき任務は存在しないと解すべきではない。

むしろ、右判例の事案では、抵当権者に第三者に対する対抗要件を具備させるのを妨げた抵当権設定者の行為を背任罪に問うているところ、本件の株式質権の場合には、株券の交付は質権設定の有効要件であり、その株券を失効させ、いわば単なる紙切れにしてしまうことは、第三者に対する対抗力どころか、質権自体を消滅させてしまうのであるから、登記協力任務を背任罪の前記任務に該当すると解する以上は、その理は、本件のような保全任務についてより一層妥当するというべきなのである。言い換えれば、担保権設定者は、担保権者のために広い意味で担保権を保全すべき任務を負い、その一つが第三者に対する対抗要件の具備に協力すべき任務であって、前記判例は、この任務違背行為の背任罪該当性を肯定したものとみることができるのであり、担保権自体を維持すべき保全義務もまた広い意味での担保権保全義務の一つとして右登記協力義務と同様に扱うべき必然性があるのである。

なお、所論のいうように、本件行為が、仮に裁判所を被欺罔者とし、質権消滅を財産上の不法の利益とする二項詐欺罪を構成するとしても、そのことゆえに、本罪の成立が妨げられるものでもないし、また、本罪により処罰する必要性がないとすることもできない。

したがって、被告人が自己の経営する会社の利益を図る目的から本件株券の紛失を理由とする除権判決を得て、右株券を失効させ、千代田生命の質権を喪失させて同社に財産上の損害を加えた本件行為が背任罪を構成するとした原判決は正当であり、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により主文のとおり本件控訴を棄却する。

(裁判長裁判官 荒木友雄 裁判官 原田國男 裁判官 林 正彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例